会議において最も価値観の違いが顕著に現れるのが、感覚主導か、論理・データ主導か、という話だ。前者の人々は、「データでは見えないものが大事なんだ」と主張するが、後者の人々は「人間はバイアスに支配されており、感覚などアテにならない」と主張する。
トップダウンが好みか、ボトムアップが好みかという話だ。いつの時代にもカリスマが好きな人は数多くいるし、権威が嫌いな人もそれと同じくらい数多くいる。
「積極的に会社が教育してくれるんでしょ?という人々と、「結局、頼りになるのは自分だけでしょ」という人々は話が合わない。
成果のみで評価する、という会社と、成果よりもむしろプロセスに評価の力点を置きます、という会社では成果に対する考え方が全く異なると言ってもよい。
組織のために個人があるのだ、という考え方、いわゆる全体主義と、組織は個人の活動のためにあるのだ、という個人主義は相容れない。
全体志向の人は、たぶん自分より先に「場」を見ている。誰か一人が楽をすると全体が歪む感じが気になって、多少の個人の不満は飲み込むのが大人だと思っている節がある。組織がうまく回っている状態そのものに、安心とか正しさを感じるタイプだ。 一方で個人志向の人は、組織を道具として見ている。自分が動きやすいか、納得できるかが最優先で、「全体のため」という言葉が出た瞬間に、誰の都合かを確認したくなる。自由が削られるくらいなら、効率が少し落ちてもいいと思っている。 この二人が同じ場所にいると、「もっと我慢しようよ」と「なんでそこまで背負うの?」がすれ違う。どちらも悪意はなくて、ただ守りたいものの単位が違うだけだ。
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全体志向の人は、たぶん自分より先に「場」を見ている。誰か一人が楽をすると全体が歪む感じが気になって、多少の個人の不満は飲み込むのが大人だと思っている節がある。組織がうまく回っている状態そのものに、安心とか正しさを感じるタイプだ。
一方で個人志向の人は、組織を道具として見ている。自分が動きやすいか、納得できるかが最優先で、「全体のため」という言葉が出た瞬間に、誰の都合かを確認したくなる。自由が削られるくらいなら、効率が少し落ちてもいいと思っている。
この二人が同じ場所にいると、「もっと我慢しようよ」と「なんでそこまで背負うの?」がすれ違う。どちらも悪意はなくて、ただ守りたいものの単位が違うだけだ。